ケツの潤いは人生の潤い
「ざんぎり頭を叩いてみれば、文明開化の音がする。」
明治政府の指導のもと、西洋文化を取り入れた近代化が進み、人々の生活や慣習が変化していった現象を象徴する言葉の一つである。
時は令和。AI,IoTといった明治時代の近代化からはかけ離れたほど高度な技術発展を継げた時代。かっぱんつ23歳。新世代のスマホもARを使った新しいゲームにも大して驚かなくなってしまった。
そう、日常的に体験しているものだから。技術の発展に身体が慣れてしまったのだろう。現代病とでも言おうか。
技術がどんなに発展しても人はまだまだ病気には逆らえない。
「ああ、AIが俺の痔を治してくれてりゃあなあ」
俺は小さな病院のベッドからそんなことを考えている。痔の手術も4日前のこと。おばちゃん看護師にケツを見せて消毒されるのすら日常になってきた。
初めは目新しかった病院食にも慣れてきて怠惰な毎日を過ごしている。人は慣れる生き物だ。まだ術後の痛みには慣れてないけど。
痔の治療後において便意は脅威である。今回の手術は開放手術と言い、術後の傷が剥き出しになっているもの。排便時の痛みはそれはもう、耐えがたいものだ。
排便後、俺はいつものおばちゃん看護師を呼んだ。
か「消毒お願いします!」
看「便の調子は大丈夫?」
今日は1番優しいおばちゃんだ。ああ、染みる 消毒とおばちゃんの優しさが染みるぜ。
看「ああ、そういや これからは消毒は2日に1回ね 」
え? おばちゃんどうして、、おばちゃんまで俺を見捨てるのかい?
看「傷もマシになってきたし、きちんとウォッシュレットできれいにしとけば大丈夫!にいちゃん若いから治りが早いよ!」
おばちゃんの優しさに涙 と、同時に疑問が残る。
俺、ウォッシュレット使ったことが無え!
こうしてかっぱんつ23歳、未知との遭遇を果たすのである!!
気づけば23年の人生、ウォッシュレットに触れる機会はなかった。実家のど田舎トイレにはもちろん付いてないし、東京の下宿先の学生マンションにもウォッシュレットは付いてなかった。いつもケツはガシガシトイレットペーパーで拭いていた。これもケツに良くなかったのかもしれないな、、
術後6日目の朝、その時はきた。
「今日はウォッシュレットを使うぞ!!」
第一希望大学の受験日くらい気合いが入っていた。
薬によりコントロールされた最適な柔らかさの便を出す。スムーズだ。今日の俺はここからが違う。
噴水のようなボタンに手を伸ばす、、 ここで俺は看護師のおばちゃんの言葉を思い出す。
看「初めは1番弱い威力で行くのよ!」
おばちゃん、、俺、弱にするよ!!
準備は整った。 いざ!!ウォッシュレット!!
プシュウウウウウウウ
「あああ、、、」
優しい水の勢いがケツを潤す! 心の汚れまで洗い流してくれているかのようだ、、
「これ やべえな、、」
思わず個室で声が漏れた。かっぱんつ、人生初ウォッシュレット成功である。
こんなに満足気にトイレから出てくることはなかった。これから用を足すのが楽しみになったくらいだ。
そうだ、これを「令和の文明開花」と名付けよう。いや、平成からあったでしょ!とのツッコミを国民全員がしていることだろう。いいではないか、俺の中ではまだ開花してなかったのだから。
俺もまたいつか、ウォッシュレットに慣れる日が来るかもしれない。でも、この初々しい気持ちを忘れてはならないと感じた。日々の発見に潤いを感じて生きていこう、、
「ケツの潤いは人生の潤い」
なのかもしれないな。